ショパンの名前が出ている部分
背景その2
フランスの音楽博物館に、昔のフランスピアノメーカーの記録が保存され、現存する資料をスキャンしたものをインターネットでも公開しています。
(http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)
そこでは、エラール、プレイエル、ガヴォー、ボードの当時の記録を製造番号から調べられるように整理されていて、私もピアノの情報を調べるときによく利用しています。
この膨大な量の資料をまとめた方々には本当に頭が下がりますし、このような資料を後世に残し、役立てようとお金を出したフランスという国を私は尊敬します。
ショパンがマヨルカ島ヴァルデモーサに取り寄せたとされるプレイエルのピアニーノの資料もその中に残されており、購入者の名前が「Chopin」ということも確かに記録されています。
製造番号6668のピアノは、6オクターブ1/2のピアニーノで2本弦、2本ペダル、マホガニーの外装でした。
1838年9月に完成し、購入者はパリのショパン、価格は1200フランで1839年6月に支払われたことが記載されています。
ここで、専門家の間では疑問が生じています。
ショパンが購入したと記録されているピアノの外装と、マヨルカ島ヴァルデモーサに残されているショパンのピアノの外装に食い違いがあるからです。
製造番号とピアノの構造は一致しているのですが、プレイエル社の当時の記録では、ショパンが買った6668は、「マホガニーの普通タイプの木目で装飾なし」のもので、確かに当時1200フランの値段が付いていたものです。
ところがヴァルデモーサに残されている6668は、「マホガニーのイバラ模様の木目で装飾付き」で、当時1400フランで売られていたもののようです。
もう一点の食い違いは、現存する6668の鍵盤に残されている職人のサインが、プレイエルの記録の職人と同一ではないこと、そして鍵盤オサに刻まれた製造番号は6737であることです。
これもフランスのすごいところだと感心していることなのですが、プレイエル社の記録台帳には、各工程を担当した職人の名前が、一台一台のピアノについて残されているのです。
それによると、ショパンが購入したピアノの鍵盤を担当した職人の名前はGenlisですが、実際にこの6668の鍵盤に残されている職人のサインはLegrandとあり、一致しないようです。
そして鍵盤オサに刻まれた6737のピアノの鍵盤担当者は確かにLegrandと記録があります。
鍵盤オサ以外の部分に付けられている製造番号は、ピアノの中にいくつか残されているものを確認済みのようですし、ピアノ本体は6668に間違いなさそうです。
一体どうしてこのような食い違いが出たのでしょうか?
本当に現存しているヴァルデモーサのピアノがショパンのピアノだったのでしょうか?
答えはまだ出ていません。
この問題を研究している「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」の著者Jean Judeさんは、著書の中で詳しく比較し、食い違いの可能性を提示しています。
一つは、ショパンがマヨルカ島を去る時にピアノを現地で転売した際、外装を貼り直され、鍵盤を取り替えられたのではないか、という仮説。
というのは、ショパンの病気の結核は伝染すると当時のスペインで極度に恐れられていたため、ピアノの購入者が病気が移るのを恐れて改造したのではないか・・。
もう一つは、プレイエル社の記録係の単純な間違いだったのではないか・・。
この本の中で答えは出ていません。
ただ、最近著者に問い合わせたところ、新しい発見をしたので次に出る本で発表する、という答えが返ってきました。
次の本は、今年中くらいには出る予定らしいです。
私も彼の新しい説を楽しみに待っているところです。
(続く)
参考資料:
「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」Jean Jude著
ARCHIVES PLEYEL (http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)
フランスの音楽博物館に、昔のフランスピアノメーカーの記録が保存され、現存する資料をスキャンしたものをインターネットでも公開しています。
(http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)
そこでは、エラール、プレイエル、ガヴォー、ボードの当時の記録を製造番号から調べられるように整理されていて、私もピアノの情報を調べるときによく利用しています。
この膨大な量の資料をまとめた方々には本当に頭が下がりますし、このような資料を後世に残し、役立てようとお金を出したフランスという国を私は尊敬します。
ショパンがマヨルカ島ヴァルデモーサに取り寄せたとされるプレイエルのピアニーノの資料もその中に残されており、購入者の名前が「Chopin」ということも確かに記録されています。
製造番号6668のピアノは、6オクターブ1/2のピアニーノで2本弦、2本ペダル、マホガニーの外装でした。
1838年9月に完成し、購入者はパリのショパン、価格は1200フランで1839年6月に支払われたことが記載されています。
ここで、専門家の間では疑問が生じています。
ショパンが購入したと記録されているピアノの外装と、マヨルカ島ヴァルデモーサに残されているショパンのピアノの外装に食い違いがあるからです。
製造番号とピアノの構造は一致しているのですが、プレイエル社の当時の記録では、ショパンが買った6668は、「マホガニーの普通タイプの木目で装飾なし」のもので、確かに当時1200フランの値段が付いていたものです。
ところがヴァルデモーサに残されている6668は、「マホガニーのイバラ模様の木目で装飾付き」で、当時1400フランで売られていたもののようです。
もう一点の食い違いは、現存する6668の鍵盤に残されている職人のサインが、プレイエルの記録の職人と同一ではないこと、そして鍵盤オサに刻まれた製造番号は6737であることです。
これもフランスのすごいところだと感心していることなのですが、プレイエル社の記録台帳には、各工程を担当した職人の名前が、一台一台のピアノについて残されているのです。
それによると、ショパンが購入したピアノの鍵盤を担当した職人の名前はGenlisですが、実際にこの6668の鍵盤に残されている職人のサインはLegrandとあり、一致しないようです。
そして鍵盤オサに刻まれた6737のピアノの鍵盤担当者は確かにLegrandと記録があります。
鍵盤オサ以外の部分に付けられている製造番号は、ピアノの中にいくつか残されているものを確認済みのようですし、ピアノ本体は6668に間違いなさそうです。
一体どうしてこのような食い違いが出たのでしょうか?
本当に現存しているヴァルデモーサのピアノがショパンのピアノだったのでしょうか?
答えはまだ出ていません。
この問題を研究している「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」の著者Jean Judeさんは、著書の中で詳しく比較し、食い違いの可能性を提示しています。
一つは、ショパンがマヨルカ島を去る時にピアノを現地で転売した際、外装を貼り直され、鍵盤を取り替えられたのではないか、という仮説。
というのは、ショパンの病気の結核は伝染すると当時のスペインで極度に恐れられていたため、ピアノの購入者が病気が移るのを恐れて改造したのではないか・・。
もう一つは、プレイエル社の記録係の単純な間違いだったのではないか・・。
この本の中で答えは出ていません。
ただ、最近著者に問い合わせたところ、新しい発見をしたので次に出る本で発表する、という答えが返ってきました。
次の本は、今年中くらいには出る予定らしいです。
私も彼の新しい説を楽しみに待っているところです。
(続く)
参考資料:
「Pleyel 1757-1857 La passion d'un siècle...」Jean Jude著
ARCHIVES PLEYEL (http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)
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