1844年製PAPE コンソールピアノ
(同時に2台のPAPEコンソールピアノ、1844年製と1852年製を修復していますので、混同にご注意を)
2年近くかけて修復してきた1844年製PAPEコンソールピアノですが、ひとまず完成としたいと思います。
ひとまず、というのは、色々な問題が見つかり続けて何度も手直しをしてきた仕事がたぶん今後も続くだろうと予想されることと、自分自身まだ結果に満足していないことで、自信を持って完成とは言えないためです。
けれども最初の状態を考えれば、かなりのレベルまで上げられたと思うので、ここで結果をご報告したいと思います。
頑張って修復を続けてきましたが、結論を言うと、売り物になる商品としては完成できませんでした。
したがって、今後も自分の手元に置いて、問題の改良をしながら、自分自身の音楽の友、修復の友としていきたいなと考えています。
172歳のこのピアノを満足のいく形で完成できなかった原因は、ピアノの状態の悪さ(老いも含め)、元の構造(オリジナルの設計)に無理があること、それから私の技術の至らなさにあるかと思っています。
このピアノに対して私ができる修復は、ほぼここまでで終わりました。
この先は、小さな改良はできますが、大きくは変化できません。
このピアノの修復は、自分にとって今までで一番難しいものでしたので、大変色々な勉強をさせていただきました。
もうダメかな、無理かな、と思いつつ何とかしたくて、実験的な試みも行いました。
結果は、犠牲にした部分はありますが、一応形にはなった、というところです。
何もかも完全にすることはとても望めないが、何かを諦めれば命だけはつながり、とにかくそれでも嬉しいことでした。
もうダメかな、無理かな、と思いつつ何とかしたくて、実験的な試みも行いました。
結果は、犠牲にした部分はありますが、一応形にはなった、というところです。
何もかも完全にすることはとても望めないが、何かを諦めれば命だけはつながり、とにかくそれでも嬉しいことでした。
結果的に、弱点が残りました。
このピアノの弱点は、
1.寿命がいつまであるかわからない(弦の張力に耐え続けられるかどうかわからない)
2.調律が狂いやすい可能性がある(確かではないので今後観察が必要)
3.張力を抑えるため、低音弦に理想的なものを使っていないので、低音の音色が劣る
4.大きな音を求められない
5.アクションや弦の雑音を完全に取り除けない
しかし、では使い物にならない悪い楽器かと言うと、全くそうではなく、魅力的な部分が多いのです。
良い点は、
1.音色が優しく、とても癒される
2.大きな音は出ないが、ピアニッシモが出るため、強弱の変化が出せる
3.表現力が高く、音楽性がある
4.響板が極小なのに、深い音、伸びのある音が出る
5.外装が魅力的
5.外装が魅力的
構造的に弱点がありますが、音楽を奏でる楽器としては、まだまだ死んではいないのです。
魅力的な音色に聴き入ってしまい、弾いていていつまでも飽きません。
魅力的な音色に聴き入ってしまい、弾いていていつまでも飽きません。
これらの発見は、驚きです。そして色々と考えさせられます。
修復とは何か、完全さを求めて一体どこまでやったら良いのか。
(ここで言う修復とは、「弾ける楽器」を前提とした修復であり、博物館などの歴史的保存物の修復とは違います)
完全な状態に近づけたい一心で私たちは仕事をします。
完璧は無理でも、できるだけ良い状態にまで機能を回復させ、皆さまに弾いてもらいたい。
私たち修復師には、やはりあるイメージがあり、この程度以上でなければという目標のようなものがあると思います。
でも、すべての古い楽器がそれを可能にするわけではない、ということも私たちは学んできました。
完全に近くするならば、悪い部分はすべて新しく作り替えて、取り替えてしまえば良いようなものですが、結局楽器の大部分を新しくしてしまうならば、一からコピーを作った方が良いように思います。
コピーを作る仕事とは違う、修復という仕事。
コピーを作った方が性能は良いのに古いものを修復する意味はどこにあるのか?
やはり古い部品を保つからこそ出る味や音色がある場合には、その楽器の存在価値があると思います。
現代の私たちに伝えたい何らかのメッセージを古い楽器が持っている場合、とも言えるでしょうか。
ではどこまでやるのが修復なのでしょうか。
古いからこそ味が出る部分の部品だけは最低残さなければなりません。
機能的な意味だけを持つ部品は、新しいものに取り替えても構いません。取り替えた方がより良い場合も多々あります。
そして予算、採算との兼ね合い、また新しいものよりは劣ってもまだ使えるものは生かしたい、という気持ちも入り、どこまでやるのかが決まってきます。
そして一番悩むのは、古さのために弱点が出てくるとき、どこまで改良を試みるか、ということです。
楽器にとって重要なことで弱点があれば改良したいですが、オリジナルの設計を尊重しながら手を加えなければならないと思いますし、楽器本体の体力を考えなければならないと思います。
172歳のおじいさんの腰が曲がったからと言って、無理やり金属の棒を入れたりしてまっすぐにするのが良いことかどうか?
曲がったままの腰を持ちながらも美しく歌っているのに、重い金属の棒などを背負わせたらくたびれて歌えなくなってしまうのではないだろうか?
でも放っておいたらもっともっと曲がってきてしまい、不都合が出てきそうだ。
若い人の場合なら金属を入れるほうがいいけど、おじいさんの場合は・・・?
それらの判断はとても難しいと思います。すべて新しい部品でコピーを作るのとは違った、修復という仕事の特色です。
お医者さんが患者の病気を治す時も、患者の体力を考慮しながらその人に合った治療法を試みると思います。
172歳のおじいさんにとって一番良い治療法、この年なら何かを犠牲にしても仕方がないけれど、一番幸せに長生きできる方法を見つけなければなりません。
このパープのように、古いからこその魅力があるが機能的に満足のいくレベルに回復できない場合、しかしコピーを作るほどの価値を認められないものは、中途半端な位置にあり、ほとんどの場合は修復もコピーもされず消えていく運命です。
修復される価値はあっても、修復しても売りものにならない程度のものなら、ピアノ屋はそこまでお金をかけられません。
個人的に特別思い入れがある場合とか、趣味で修復するならできますが、仕事としては成り立ちにくいです。
そして、多くの楽器は捨てられていると思います。それも仕方のないことです。
捨てられるかもしれなかったこのピアノが縁あって私のところへ来て、私はお金と時間をかけて修復しましたが販売できるレベルには完成できなかった。
しかしこの楽器から私が学んだことは多く、この仕事をやらない方が良かったとは私にはとても思えません。
また、音楽的にも奥深さを持っているこの楽器の音色は、今後も出会う方々に何かを教えてくれるかもしれません。
この楽器には感謝をしています。
一言でいうと、この楽器はハンディーキャップピアノ、と言えると思っています。
世の中には、ハンディーキャップを持ちながらも魅力的な生き方をしている人たちがたくさんいます。
ハンディーキャップのない人よりも、人々に多くの影響や感動、勇気を与えている方々がいます。
同じように、このパープが楽器として生き続ける意味は大きいように思うのです。
明日から、完成の写真と音をご紹介していきます。
修復とは何か、完全さを求めて一体どこまでやったら良いのか。
(ここで言う修復とは、「弾ける楽器」を前提とした修復であり、博物館などの歴史的保存物の修復とは違います)
完全な状態に近づけたい一心で私たちは仕事をします。
完璧は無理でも、できるだけ良い状態にまで機能を回復させ、皆さまに弾いてもらいたい。
私たち修復師には、やはりあるイメージがあり、この程度以上でなければという目標のようなものがあると思います。
でも、すべての古い楽器がそれを可能にするわけではない、ということも私たちは学んできました。
完全に近くするならば、悪い部分はすべて新しく作り替えて、取り替えてしまえば良いようなものですが、結局楽器の大部分を新しくしてしまうならば、一からコピーを作った方が良いように思います。
コピーを作る仕事とは違う、修復という仕事。
コピーを作った方が性能は良いのに古いものを修復する意味はどこにあるのか?
やはり古い部品を保つからこそ出る味や音色がある場合には、その楽器の存在価値があると思います。
現代の私たちに伝えたい何らかのメッセージを古い楽器が持っている場合、とも言えるでしょうか。
ではどこまでやるのが修復なのでしょうか。
古いからこそ味が出る部分の部品だけは最低残さなければなりません。
機能的な意味だけを持つ部品は、新しいものに取り替えても構いません。取り替えた方がより良い場合も多々あります。
そして予算、採算との兼ね合い、また新しいものよりは劣ってもまだ使えるものは生かしたい、という気持ちも入り、どこまでやるのかが決まってきます。
そして一番悩むのは、古さのために弱点が出てくるとき、どこまで改良を試みるか、ということです。
楽器にとって重要なことで弱点があれば改良したいですが、オリジナルの設計を尊重しながら手を加えなければならないと思いますし、楽器本体の体力を考えなければならないと思います。
172歳のおじいさんの腰が曲がったからと言って、無理やり金属の棒を入れたりしてまっすぐにするのが良いことかどうか?
曲がったままの腰を持ちながらも美しく歌っているのに、重い金属の棒などを背負わせたらくたびれて歌えなくなってしまうのではないだろうか?
でも放っておいたらもっともっと曲がってきてしまい、不都合が出てきそうだ。
若い人の場合なら金属を入れるほうがいいけど、おじいさんの場合は・・・?
それらの判断はとても難しいと思います。すべて新しい部品でコピーを作るのとは違った、修復という仕事の特色です。
お医者さんが患者の病気を治す時も、患者の体力を考慮しながらその人に合った治療法を試みると思います。
172歳のおじいさんにとって一番良い治療法、この年なら何かを犠牲にしても仕方がないけれど、一番幸せに長生きできる方法を見つけなければなりません。
このパープのように、古いからこその魅力があるが機能的に満足のいくレベルに回復できない場合、しかしコピーを作るほどの価値を認められないものは、中途半端な位置にあり、ほとんどの場合は修復もコピーもされず消えていく運命です。
修復される価値はあっても、修復しても売りものにならない程度のものなら、ピアノ屋はそこまでお金をかけられません。
個人的に特別思い入れがある場合とか、趣味で修復するならできますが、仕事としては成り立ちにくいです。
そして、多くの楽器は捨てられていると思います。それも仕方のないことです。
捨てられるかもしれなかったこのピアノが縁あって私のところへ来て、私はお金と時間をかけて修復しましたが販売できるレベルには完成できなかった。
しかしこの楽器から私が学んだことは多く、この仕事をやらない方が良かったとは私にはとても思えません。
また、音楽的にも奥深さを持っているこの楽器の音色は、今後も出会う方々に何かを教えてくれるかもしれません。
この楽器には感謝をしています。
一言でいうと、この楽器はハンディーキャップピアノ、と言えると思っています。
世の中には、ハンディーキャップを持ちながらも魅力的な生き方をしている人たちがたくさんいます。
ハンディーキャップのない人よりも、人々に多くの影響や感動、勇気を与えている方々がいます。
同じように、このパープが楽器として生き続ける意味は大きいように思うのです。
明日から、完成の写真と音をご紹介していきます。
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