フランス・パリのピアノ修復工房で10年半働き、帰国して東京で仕事を始めたピアノ調律師です。 パリで知った戦前のフランスピアノの魅力を日本の皆様にもお伝えしたいと考えています。 このブログでは、ピアノ調律師として、修復師として、また一人の人としての日々の活動をご紹介していきます。
2015年5月21日木曜日
1843年製プレイエル スクエアピアノ アクション取り出し
1843年製PLEYEL スクエアピアノ
さあ、修復を始めましょう、という時、アクションがどうしても取り出せませんでした。
普通は引き出し式に出せるものが、押しても引いてもびくともしません。
どこかにビスがあるのか?どこを探しても見つかりません。
とても困りました。
アクションが出せないのでは、修復を始められないではないですか・・・。
さんざん観察し、考えたけれどわからない。
昔のフランスの文献に、スクエアピアノのアクションの取り出し方のパターンがいくつか書かれてあったので読んでみたけれど、どれも当てはまらない。
仲間の技術者たちに問い合わせ、フランスにまで問い合わせてみたけれど、誰にもわからない。
引き続き観察し、消去法で色々なパターンを消していき、これはもうこうであるに違いない、との仮説のもと、
たぶん長年の湿気のせいで固まってしまっているのだろうから、どこかを削ってでも開放するしかない、と思いました。
そこで弦を取り外し、中に手が入るようにした後、アクションの奥の方にあるガイドとなっているであろう木片にアルコールを注いで無理矢理はがしました。
なかなか剥がれなかったけれど、これなら壊しても作りなおせる、と思い切ったら取れました。
そしてアクションが少し解放され、初めて少し動いた時には嬉しかった。
その後は、左右を交互に少しずつ叩きながら押し出し、ついに引き出すことができました。
結局、ビスなどは一つも使わず、ただケース手前の両側に付けられた金属のガイドを鍵盤オサの左右に掘られたほぞが通ることと、奥に付けられた一つの木片が押さえになっているだけの、単純な作りでした。
通常なら引けばすっと前に出てくるはずのものが、湿気で膨らんでガチガチに固まっていただけのことだったのでした。
ここまでくるのに何日もかかりました。
普通なら、修復の最初の日に簡単に出来ているはずの、ただの取り出すだけの仕事に何日もかかり悩んだのですから、それは修復師としては恥ずかしい話に違いありませんが、今日はみなさまにお話ししました。
私の悪い頭では考えが足りずこんなに時間がかかってしまいましたが、結果は、悪い頭でも最終的には解決できたということが、感動的だったからです。
結果を知ってしまうと、全然難しい仕事ではなかった、
けれどその経過にあっては、見えない、手探り、壊したらどうしようという不安の中で、自分なりに考えていくということは、私にとっては難しい仕事でした。
でも、大切なことを学んだような気もしています。
やっと、ここから修復が始まります!
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