2014年11月10日月曜日

雑誌「ピアニスト」の記事

パリのピアノバルロンのシルヴィー・フアノンさんが取材され、「ピアニスト」という雑誌に記事が掲載されました。
下に全文訳を載せてあります。



 
 
ピアノバルロン -魂の仕事-
 
パリ16区のちょっとおしゃれな中庭の奥に、ピアノバルロンの修復工房がある。2009年に格調高い称号である「人間国宝企業」の認定を受けたこの工房は、芸術職人の師匠であるシルヴィー・フアノンにより経営され、「消えてしまった、あるいは弱ってしまった音楽の魂をよみがえらせる」ための仕事をしている。
 
家の物置の奥に先祖代々受け継がれてきたピアノが眠っている。何十年か前のまだピアノが機能していた頃、両親は子供にそのピアノを弾くことを禁じていた。家族の宝物だ。「いつの日かあなたが私たちのこの遺産を相続するのよ!」もう音が出なくなり大きなかさばる物体だけれど見た目はとても美しい。それをワインバーに改造してしまう前に、修復工房のドアを押してみよう。このピアノの価値は?修理できるのか?弾けるようによみがえらせることができるのか?修復にはいくらかかるのか?次々と続く疑問の連鎖…
 修復工房のドアを入る。木の匂いがする。部屋中に楽器がいっぱいだ。かろうじて楽器とわかるいくつかの物体、そして今製造工場から出てきたばかりの新品のように見える大きくて素敵な楽器がある。実際は作られてから1世紀以上も経っているというのに。
 正面に、芸術職人の師匠でありパリの控訴院(高等裁判所)指定の法定専門家でもあるシルヴィー・フアノンさんが立っていた。優秀な技術者たちと共に、彼女は1992年からピアノバルロンの会社を経営している。彼女はすぐに本題に入った。「一番重要なことは、演奏できる状態によみがえるための十分な潜在能力をピアノが持っているかどうかを見極めることです。演奏できないピアノを修復することは何の役にも立たない。それは私たちの哲学から外れるのです。」
 
型どおりを嫌う
 まずは鑑定と心理学の仕事だ。古いピアノには、先祖から受け継いだことによる感情的な価値が付け加えられる。「私が鑑定をするためにアクションを取り外すだけで青くなってしまう人々に会うことがあります。私は、鑑定結果がポジティブならば楽器をよみがえらせることができます、と説明しなければなりません。すでにピアノを所有し演奏している人々の中にも、型にはまりすぎているモダン楽器とは違った音色を求める人々がいます。鑑定の作業は、いつも特別な出会いを意味します。なぜなら人々の期待はそれぞれ違い、個人的な意味合いを持つからです。」とシルヴィー・フアノンは言う。
 しかしながら、彼女がピアノの音色をよみがえらせる仕事を始めるとき、結果を一様に保証することはできない。「あるピアノはすべてにおいて美しくよみがえり、また他のピアノは独特な響きを持つかもしれない。理解すべきなのは、それぞれのピアノは異なる音色を持つということ、なぜなら製造された時の考え方が驚くほど違うからです。同時代のエラールとプレイエルの間にも共通点はなかったのです。タッチにいたるまで。」修復家は語る。「楽器の新たな人生を尊重しましょう。私たちの前にあるこれらのピアノは前の時代に作られたものですが、歴史的に特別なものではないのです。私の知る限り、歴史を‘作った’重要人物がこれらの楽器を所有し演奏したことはありません。」彼女は続ける。事実、有名人と結びついているピアノはしばしば法外な値で売られ、外国へ出ていってしまう。しかしながらこれらの楽器のクオリティーには驚かされる。当時の楽器を製造した職人たちは、いつかその楽器が古くなるという現実を想像しなかった。「エラールの平行弦ピアノの鉄骨を取り外す作業には丸一日必要ですが、同時代の他のピアノでは同じ作業が何本かのビスを外すだけで終わるものもあります。昔のピアノは‘永遠’に生きることを目指して完璧に組み立てられており、まるで金属と木が溶接されているかのようなのです!」このようなことを考え付いた技術者たちに感嘆するばかりである。
 
フェルトかウサギの毛か
 パリの工房では、現在4台のピアノを修復中だ。今後の予定も詰まっており、在庫だけでも6年から8年の仕事量が待っている。しかし不況の波はここにもやってきて、販売市場の動きは鈍っている。プレイエル、ガヴォー、ブリュートナー、シードメイヤー、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン…、アップライトピアノ、グランドピアノ、スクエアピアノなどが倉庫にいっぱい詰め込まれている。「私たちは第二次世界大戦後のピアノは修復しません。楽器製造が大量生産型に移行したからです。私たちはフォルテピアノの修復もしません。それはまた別の世界なのです。」
 目の前に1842年製プレイエルがある。もう一台1853年製のプレイエルがある、1875年製シードメイヤー…、すべてが特別だ。廃棄処分にせざるを得ないピアノからは使える部品を調達し修復に役立たせるが、その他はすべてよみがえり再び音を取り戻す。一体どこまでのピアノを修復し、どこで線を引くのだろうか?
 歴史認識も必要だ。「あなたの前にあるピアノは3つの戦争を経験してきているのです。私たちの仕事は、生き残ってきたピアノたちをできる限りオリジナルの状態に近い形に戻すことです。それは帆と船楼を備えた昔の船が修復により再び走る魂を取り戻すのと似ています。」とシルヴィー・フアノンは語る。オリジナリティーを保つことと使用可能な状態にすることとのバランス感覚は、ときに微妙である。「響板を保持することは最優先だと思っています。ピアノの魂がそこにあるからです。」しかし他にはどんな部品があるのだろう?革、木、鍵盤の象牙?1905年製の廃棄ピアノから回収した鍵盤が1902年製ピアノを修復するために使われることがある。廃棄ピアノの部品はそのようにして役立つのだ。
 しかし、材料調達については問題も起こる。「過去においてアフリカでは木を伐採するのをためらいませんでした。でも今は違います。動物の革についても同じことが言えます。今の私たちがどうやって自然のなめし革を調達できるでしょうか?オリジナルの材料にこだわりすぎる修復の考え方に対しては、もっと本質的な質問を投げかけることができます。木が年を取るということです。もし当時の状態を正確に再現したいなら、年月を重ねた楽器は乾燥し過ぎているでしょう。オリジナル楽器と言うのに適さない」大切な部品の一つであるハンマーの修復については、修復家により考え方が分かれると言う。フェルトでハンマーを巻くのか、ウサギの毛で巻くのか?様々な点について議論は終わりなく続く。
 
工房の真ん中で
楽器は解体された状態である。計画書やマニュアルはない。経験あるのみの世界においては、確実ではないが完全だ。様々なことを考えて進めなければならない。例えば弦の張り方について、考えなしに張ったのでは楽器として長期間保つことはできないだろう。1840年~1940年頃のエラールピアノはピッチをA=445ヘルツ(1秒につき445回振動する)まで上げることができたということが知られている。「しかし楽器によっては442ヘルツを保つこともできません。ピン板の木が年を取っているからです。またピッチの選択は時代によって変わってきたという背景もあります。」シルヴィー・フアノンは続ける。もっと言えば、ショパンのマズルカを弾く時とブラームスの最後の間奏曲を弾く時とは、エラールピアノのピッチを変えなければならないことになる!
 1902年製プレイエルのピアノの前にいる。響板が傷んでいる。そこで彼女は埋め木をする。つまり、響板の割れを小さな木材で埋める作業である。この木材は、乾燥させたマツの木のスティックを斜めに削ってあるものだ。ピアノは響板が割れた状態でも弾くことができるが、ピン板が傷んでいる場合は使用することができない。ピン板とはピアノの部品の中で中心的存在だ。「良い材料でオリジナル通りに作り直すことで、完全にピン板の機能を取り戻すことができます。」
 修復の度合いは様々で、見積りにも違いが出る。では新品のピアノの値段と比べて、修復にかかる費用はどうなのだろう。「もちろんピアノ修復には多額の費用がかかります。しかし楽器を芸術的な観点においてよみがえらせるということ、つまりこの道の経験を積んだプロフェッショナルによる修復は、音楽的価値の少ない新品のピアノを買うよりも安いはずです。」とシルヴィー・フアノンは断言する。
 
長い道のり
響板の埋め木をすると糊が完全に乾くまでに15日間かかる。その間に別のピアノの仕事を進める。それから響板にニスが塗られる。弦を張るまでにはさらに2週間待たねばならない。客たちは楽器が生まれ変わるまでに何ヶ月も待たなければならないのだ。1905年製シードメイヤーには、ナポレオンⅢ世スタイルのニスが塗られている。シルヴィー・フアノンは私たちにその工程を説明してくれた。「表面を良く見てみると、完全につるつるではないけれど、光の反射に深みが見られます。外装の木に墨を塗りこんであることで、黒色に深みが出るのです。どの角度から見ても手塗りのニスの跡が見えてはいけません。この仕上げ方法はこのピアノに特有のものです。1842年製のプレイエルには合いません。なぜならその時代にはこのタイプのニスが存在していなかったから。ここでは採算を考えた仕事をしていないことがおわかりになるでしょう。それから、‘手早くすべてを終わらせよう’という考えは私たちの世界にはないということも」このピアノにかかる仕事は350時間以上、そして25,000ユーロで販売される。
 「昔のピアノは取るに足らない、決して今のピアノと並ぶ価値を持たない、と言うのをもうやめましょう。」とシルヴィー・フアノンは憤る。外国へ出ていく楽器がますます増えている。東ヨーロッパの業者が正しい方法でピアノ修復を行わずに販売し、問題になっている。専門家でない人たちの考えで行う仕事は、もちろん意欲は感じられるのだが、素人仕事であり、それは修復というものを間違って伝えてしまう。「私たちは、楽器を工場に修理に出す技術者とは違うのです。私たちの職業は厳しいもので、体も酷使します。また孤立した芸術的な職業であり、考え方の違いにより様々な派ができます。私は個人のための仕事しかしない。博物館の仕事は、基本的に遺産の保存という考えに基づいて行われます。楽器を複製する仕事もありますが、私たちのしていることとはまた違った世界です。」
 シルヴィー・フアノンが33年間続けてきた修復とは、確かに情熱の職業である。ピアノ製作の「魔法使い」の一派ともいえる彼女は、楽器にその音楽的な個性を保ちながら若返り治療を施すのである。「私の目的は、これらの素晴らしい楽器を弾く喜びが存在することを知ってもらうことです。またこの仕事を学びたいという若者がいることにも希望を感じています。2000年に日本からやってきた技術者は、自分の国に戻り、ピアノバルロンという独自の会社を始めました。彼女は50台あまりのフランスピアノをここで修復し学んだのです。」この道の専門家は、前向きな結論で結んだ。
 
PIANOS BALLERON
16, rue Jean-Bologne, 75016 Paris
Tél.: 01 46 47 93 12
 
取材:Stéphane Friédérich, Bernard Désormières
訳:和田明子

 

2 件のコメント:

  1. 興味深く拝見しました。ピアノ修復の考え方など(修復後演奏できるか)共感できるところも多いです。最後に和田さんのお仕事に言及されているあたりに配慮を感じました。(藤波)

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  2. ありがとうございます。修復の考え方は修復師により異なり、みんなそれぞれのこだわりと哲学を持って仕事をしています。私自身も、師匠たちから習ったことと自分の経験を合わせて、自分なりの哲学を確立しようとしているところです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。和田明子

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