2014年10月15日水曜日

パープの歴史 その4

 
1845年PAPEによるデッサン
'NOTICE SUR LES INVENTIONS ET LES PERFECTIONNEMENTS DE H.PAPE '
(Gallica.bnf.fr/Bibliothèque nationale de Franceより) 
 
 
やがてパープは、世の中の変化に付いていけなくなります。
1848年頃からは、産業革命により工業化が進んだことで有利となった大メーカーに勝てなくなっていきました。
1855年頃からは業績が傾き始めましたが、ちょうど世間では、フランス革命後に財産を相続していたお金持ちでロマンティストで個人主義のブルジョワ階級が世代交代の時期となり、パープが顧客や擁護者を失っていったことも、その要因となりました。
1863年には自社のコンサートサロンとショールームを開きましたが、うわべを繕うだけのものとなってしまったようです。
加えて、一人残った息子が事業に失敗し、両親が借金を肩代わりする羽目となりました。
1870年に妻が死去した後、パープは5年間一人でアパート暮らしをしましたが、1875年貧窮のうちに病死しました。
彼が亡くなった時に遺されたものは、50台のピアノ(完成品と未完成品)と2つの仕事台、それにひと山の古い道具のみで、全部で50フランにしかならなかったそうです。

2 件のコメント:

  1. こんにちは。
    パぺの歴史、大変興味深く読ませていただきました。
    パぺの発明の数々は今では当たり前のようになってますが、
    パぺが苦労し努力した結果ですね。

    今度、また工房に遊びに行きたいと思ってます。
    では、また。

    さいたまの朋子より

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  2. 朋ちゃん、読んでくれてありがとう!このシリーズはその9まで続きます。引き続きよろしくね。また遊びに来てください。明子

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