2018年9月30日日曜日

1838年製プレイエル ピアニーノ 修復後の考察8

ショパン時代のプレイエルのハンマーフェルト修復について考察されたDI MARIOさんの論文の翻訳を、ご紹介しています。
原文はこちらです:PDF of Pleyel Hammers in the Chopin Era

ここに掲載している文は私の個人的な翻訳文ですので、間違いや下手な翻訳、下手な意訳もあると思います。
それでも参考になればと思いますので、恥ずかしながら敢えて掲載するものですが、英語を読まれる方は、ぜひ原文で読まれることをお勧めします。
また、原文にはハンマーフェルトの写真も載っていますので、ぜひご覧になると理解が一層深まります。


アンリ・パープと、ショパン時代のプレイエルにおけるハンマーの巻き方について彼が貢献したこと
M. DI MARIO, VARESE, 2012年7月(2016年6月改訂)

6. ロマン派時代のピアノの修復とパワーを追求するモダンピアノ

1844年のこの記事には、1839年以前のプレイエルピアノはコンサートでの使用に適していなかったことが述べられている。それ以前は、大きなコンサートにはエラールピアノが選ばれていた。

挿入記事:France Musicale、1844年6月23日
「1839年以降、プレイエルの小型グランドピアノが大型ピアノとほぼ同等の音量を備えるようになった。この時点で基本は完成され、成果は確固としたものとなった。以前からプレイエル氏は7オクターブを持つ大型のピアノを製造してきたが、非常にエネルギッシュなこのピアノは、パリや地方の大きなコンサートホールで多くのアーティスト達に使われてきた。ここに、最も優秀な評論家の一人であるフェティス氏が、プレイエルの新しい7オクターブのピアノをヨーロッパで一番広いグランドオーケストラのコンサートホールで聴いた後にベルギーの新聞に公表した文がある。’’Emille Prudentについて語った後は楽器について語ろう。我々はエラールピアノをコンサートホールで使える唯一のピアノと思ってきたが、土曜日(1844年4月19日)のコンサートでPludent氏が弾いた素晴らしいプレイエルピアノを聴いてからこの考えが変わった。この楽器の音の力、豊かさ、安定した輝きは、このような場に完璧に適している。グランドオーケストラの広いホールで演奏を聴いてそれを確信した。もちろんこれはプレイエル氏のアトリエで最近作られたものだが、大変な進歩である。’’」

1839年から1843年の頃には、響板の駒の高さを上げると共に張力を増加していた。楽器の音は今日の標準より小さかったが、1830年以前よりは大きくなっていた。

ここにプレイエルの新しいパワフルなコンサートピアノについて書かれた別の記事がある。

挿入記事:Archives de Commerce、1845年、Vol.36
「プレイエル社は、7オクターブ(ラ−ラ)のコンサートホール用のグランドピアノを博覧会に出展した。この新しいモデルは、モダン音楽を演奏するための要望を叶えるために必要となったものだった。問題となったのは、音色の純粋さ、柔らかさ、そして均一性を損なわずに大音量を出せるようにすることだったが、それがこの新しい楽器で実現したのだ。プレイエルのコンサートグランドピアノは、この冬にはコンサートホールで有名なアーティストに演奏され、またイタリア人アーティスト(M. Prudentのコンサート)の素晴らしい演奏もあり、見事な反響を得て、この種の試みとしての成功を収めたことで批判の余地がない。」

モダンピアノの設計は、コンサートホールいっぱいに鳴り響くための力を最大限に得ることを目的としてきた。それは働くピアニストの収入になるように可能な限り多くのチケットを売るためでもあった。

リストはこの流行の先駆者であり、現代風のソロピアノリサイタルを始めた人だと言われている。

1850年以前、ピアノはコンサートのための楽器ではなく、自分の楽しみのために演奏する楽器、または当時のサロンで少人数のグループで楽しむための楽器とされていた。

1800年代後半のあるアメリカの雑誌では、イギリス製のピアノとアメリカ製のピアノの違いを指摘している。この記事は、ヨーロッパとアメリカの伝統的な美学の基本的な違いを漠然と描いている。今日のピアノはアメリカで設計され発展したものであり、一般に考えられているようにドイツから発展したものではない。

挿入記事:Popular Science、1892年2月
「ある事柄がここに明白に存在する、すなわち、イギリスのピアノはアメリカのピアノに比べてパワーと響きが少なく、そしてこの気候に耐えられない。それらは音量よりも甘さや優美さのために作られている。」

ピアノ作りの傾向が徐々にパワーや輝きを求める方向に動いていた1800年代の後期でさえも、イギリスのピアノは「甘く優美」だと考えられていた。

筆者はオリジナルのパープスタイルのハンマーを備えたプレイエルのグランドピアノno.10941を所有しているが、その音色が確かに甘く優美であり、おそらくモダンピアニストは典型的な「ピアノ」という楽器として認めないであろう。ハンマーのカシミヤらしい柔らかさのためにピアニッシモで演奏することは容易であるが、輝かしさに欠けるためフォルティッシモで演奏することは難しい。瞬間的な打弦音は柔らかく、高音部は鈍い音である。これらのハンマーは、本来家庭での演奏向けに作られたのであり、ステージ向けではないと思われる。

すでに述べられたように、我々は1世紀以上にわたるピアノ製造において、初期の生産段階からすでに音量の限界に挑む設計を開発しようとしてきた。それは、ハンマーをより硬く大きくすることと弦の張力を増大させることで、全体的なパワーを増し続けてきたのであるが、特にアメリカの設計をコピーしているアジアで顕著である。

ショパンが最初にパリにやってきた時代のヨーロッパのピアノの設計を考えてみると、ハンマーをできる限り軽くしようと作られていたことがわかる。これは、打弦の際のショックを少なくするためであり、打楽器の硬い音色とは対照的な甘く歌う音色を得るためであった。続いて1840年代にはハンマーはより大きくより硬くなった。特にプレイエルは、1840年頃にハンマーの設計を大きく変えたのだが、軽くて打弦の際のショックが少ないドーナッツ型の芯を持つ1830年代のハンマーに比べ、より硬くて幅の広い革の芯を持つハンマーにしたのだ。1840年代のハンマーの外側の層は、とても柔らかくなければならなかった。それは多くの当時の記録によると、ピアノの音質にとって「柔らかさ」の質が最高に重要なものであったからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿