原文はこちらです:PDF of Pleyel Hammers in the Chopin Era
ここに掲載している文は私の個人的な翻訳文ですので、間違いや下手な翻訳、下手な意訳もあると思います。
それでも参考になればと思いますので、恥ずかしながら敢えて掲載するものですが、英語を読まれる方は、ぜひ原文で読まれることをお勧めします。
また、原文にはハンマーフェルトの写真も載っていますので、ぜひご覧になると理解が一層深まります。
アンリ・パープと、ショパン時代のプレイエルにおけるハンマーの巻き方について彼が貢献したこと
M. DI MARIO, VARESE, 2012年7月(2016年6月改訂)
2. ピアノハンマーの外側の巻きを革からフェルトに替えたジャン・アンリ・パープの功績(1)
ジャン・アンリ・パープはピアノ業界において多くの特許を申請した発明家であった。おそらく彼の一番有名な発明は、ピアノハンマーをフェルトで巻くアイデアである。
革はこの時までずっと使われてきたものだったが、製造家に多くの問題をもたらすものであった。革は、良い素質と適正な品質のものが選ばれなければならない。すべての革は動物から来ているため異なる状態である上に、動物の革のみが使用可能であると見なされており、製造家たちはどの革がよりコントロールされやすく、予想しやすく、工業製品として生産され得るかということを調査してきた。
プレイエルと親しく結びついていたパープ(注1)は、プレイエルのために働いた期間があったのだが、まず最初に動物の毛から作った帽子メーカーのフェルトで実験した。最終的に、ハンマーを巻く材料として最適なフェルトを作るための最初の段階について、1826年に特許を申請した。
挿入:1826年、ハンマーフェルト製作についてのパープのオリジナル特許申請文
「私はウサギの毛を少々とその6分の1の詰め物を用い、それらを一緒に梳いて第一の層を作る。次にノウサギの毛を少々とその3分の1の羽毛を混ぜ、同様に梳いて第二の層を作る。これらの材料を用いてさらに、すでに知られているやり方で強くフェルト状にし、適度な硬さと必要な柔らかさになるまで行う。私は、このように作られた繊維が使用によって悪化することは全くなく、また温度による影響もないことを確信している。私は今述べたような材料だけが唯一考えられるものではなく、他の材料でもこの種の繊維を作ることができるのを確かめた。しかし今まで誰もピアノのハンマーをフェルトで巻くことを考えつかなかったので、私はどんな材料を用いるかに関わらず、ピアノ製造におけるこのような繊維の使用について特許を申請する。
1826年10月11日パリにて
楽器製造者 パープ」
特許から読み取れるように、当時使われていたフェルトは現代のピアノに比べてかなり色々な材料から作られていたようだ。ウサギの毛、ノウサギの毛、絹と羽毛などから作られていた。このことは、ピアノが小さかったこと、弦の張力が弱かったこと、全体的に軽い作りだったことなどと合わせて、当時のピアノ製造の美学をうかがわせるものである。詳細については、この後徹底的に検証しよう。
Sievers(注2)によれば、ウィーン式アクションではハンマーが弦を打つ時に弦の方向に沿ってハンマーをこする構造になっているためフェルトが早く消耗しやすいという特徴により、ウィーンのピアノは革を使い続けた。フランスやイギリスの大多数の製造家たちは、すべての製造家がパープの特許に賛成や尊重をしたわけではなかったにも関わらず、パープのフェルトに素早く切り替えた。
1844年に書かれた記事を掲載して説明しようと思う。
挿入記事:Revue scientifique et industrielle、1844年、Volume17
「1826年までは、ハンマーを巻くのにはもっぱら革が使われていた。そして同じ革が部分的に多かれ少なかれ乾燥したり穴が開いたりした時には、すべてのハンマーヘッドを調べてその音にふさわしい巻き具合を決めなければならない。ハンマーの巻き具合をよりきつくするか弱くするか、一つ一つのハンマーについてふさわしい堅さや柔らかさの度合いを決めなければならない。このような状態になった時に使われた革の欠点も見えてくるのだが、アトリエでの革の選択と巻く技術者の腕の重要さを我々は知るのである。そして、製造界でメーカーが高い評判を得続けることができないというのも無理はない。工場長のみがただ一人ハンマーを巻く技術を持っていて、その重要な仕事を他の人に伝えられないことがしばしばあるからだ。ウィーンではGraft、パリではPetzoltが、巻き職人としての技術では名高い。
不幸なことに、楽器が販売される時点でハンマーの巻きが全音域において完全に均一だということだけでは不十分なのである。楽器を高レベルにまで仕上げるためには多くの費用がかかるので、どうしても楽器の販売価格を高くせざるを得ないのだが、高い価格を支払った購入者が満足するためには、さらに長い間均一性が保たれなければならない。しかし我々の気持ちとは裏腹に、数ヶ月のうちにひどく硬くなるハンマーが出てきて、とてもお金をかけた末に得られたこの均一性を壊してしまうのだった。そして偶然奇跡的に均一性が保たれる場合でも、全体的にハンマーが硬くなるのを防ぐことはできず、楽器の持っていた豊かで柔らかい音色は乾いた耳障りなものとなるのである。」
上に述べられているように、革選びのプロセスは、それぞれの革に固有のテンションを正しく把握し、鍵盤のあるセクションから次のセクションへ一貫した効果を保たなければならない難しいプロセスであり、熟練した職人のみが実現できるものであった。さらに言えば、ハンマー巻きの職人たちが苦労して完成させたハンマーが、なんと短い期間の間に硬くなって質を落とし、オリジナルの甘い魅力的な音色を失ってしまうことだろう。(続く)
挿入記事:Revue scientifique et industrielle、1844年、Volume17
「私はすでに、パープ氏から出された重要な改良について多くを語り過ぎたが、それは最初のこの重要な疑問がまだ大きく残されているからである。
実のところ、またしても彼、そして彼一人だけが、今日ほぼ悪いハンマーを作ることが不可能な技術者であり、まあまあの楽器という評価を得られる人なのである。
1826年以降パープ氏により行われた、革の使用からフェルトに替えるという発明は素晴らしい革命に違いない。彼の製造方法では、長期間にわたって何重にも衝撃を与えても同じハンマーが同じ音質を保つことができる、様々な度合いの硬さと柔らかさを自由自在に作ることができるのである。」
この記事が、パープの発明が革を超えたという大きな成果を指摘していることは、重要である。記事には、悪いハンマーを作ることはほぼ不可能だとあり、そのパープのフェルト(繊維の類やフェルトを使用)は何重もの衝撃に耐え、革のように時間が経っても堅くなることがないと言われている。(続く)
(注1)Revue Scientifique et Industrielle, Vol.17、1844年
工場長であったパープ氏は、現在の社長の父親であるイグナース・プレイエルに重要な改良点を提示したが、彼は一つも受け入れなかったので、1817年に会社を辞めて自分の会社を起こした。
工場長であったパープ氏は、現在の社長の父親であるイグナース・プレイエルに重要な改良点を提示したが、彼は一つも受け入れなかったので、1817年に会社を辞めて自分の会社を起こした。
(注2)Sivers, Il Pianoforte, Guida Pratica per Costruttori, Accordatori, Dilettanti e Posssori di Pianoforte
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