2014年3月12日水曜日

エラールの歴史 その14

Maurice Biais作のポスター(1902年)
(Gallica.bnf.fr/Bibliothèque nationale de Franceより)


エラールの歴史 その14

ピエールの死後、妻のマダム・エラールが相続し、所有者となった。
パリ支店の経営は、Eugène Shaeffer(エラールファミリーの中の人)、ロンドン支店はGearge Bruzaudの経営となった。
この年に最初のコンサートホール、サル・エラールが建設された。
エラール社は発展を続け、1872年には315人の職人を抱えるフランス最大のピアノ工場となる(当時プレイエルの職人は231人)。
1890年にロンドン工場(ピアノ部門)を閉鎖した。
その後もエラール・ファミリーとその仲間たちでピアノ製造と販売を続けていったが、1915年前後から経営が困難になっていったようだ。
エラールがこだわって作り続けていた平行弦のピアノは1920年に製造停止(1931年まで注文製作は続けた)となる。
その後、小さなピアノに力を入れるなど、努力は続けたが、1959年Gaveau社に吸収された。

参考資料:
Runé BEAUPAIN著 'LA MAISON ERARD - manufacture de pianos 1780-1959'
RIFIORIR D'ANTICHI SUONI-Trois siècle de pianos (Alain Roudier/Bruno di Lenna著)

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