2017年6月30日金曜日

現在私が修復中の1838年製プレイエル・ピアニーノとショパンが使用した1838年製プレイエル・ピアニーノとの比較3

ショパンとサンドが滞在したヴァルデモーサの修道院 (1930年撮影)
(http://gallica.bnf.fr/より)

ショパンとサンドが滞在したヴァルデモーサの修道院 (1930年撮影)
(http://gallica.bnf.fr/より)


背景その3

ショパンは、マヨルカ島への旅へ出発する前に、プレイエル社を訪れています。
1838年10月のことです。
この際、すでに作曲を始めていてこれから完成させるプレリュードの版権をプレイエルに2000フランで譲る提案をし、前金として500フランを受け取りました。
またその時、プレイエルはマヨルカ島へピアニーノを送る約束をしました。
ピアノ代金は後払いで良いということになったようです。

証明はありませんが、ショパンが購入したピアニーノが1838年9月に完成されていることとショパンが10月にプレイエル社を訪れてピアノの発送を依頼したことから、この時にショパンがピアノを実際に見て選定したのではないかと思われます。
あるいはもっと前に注文していたかもしれませんが、10月の訪問時には完成品を確かめたことでしょう。
ショパン自身が選んで購入を決めたピアノだったということも、私たちには大変興味深い事実です。

1839年1月22日付のショパンからプレイエルへの手紙には、ピアノが「海路と悪天候と、そしてパルマの税関にもかかわらず、望み得る最良の状態で着いた」ということと、「お送りするプレリュードを貴殿からのピアニーノで仕上げた」ことが書かれています。
この手紙から、ショパンがピアニーノに満足したことや、このピアニーノで実際にプレリュードを完成させたことが証明されています。
また、サンドは著書「マヨルカの冬」の中に「三週間交渉して四百フランの関税を払うことで、税関吏の手から奪い返したプレイエルの小型ピアノのすばらしい音色は、僧坊の高い丸天井に響きわたった」と記しています。
ヴァルデモーサの特殊な環境とショパンやサンドの心理状態を考えると、その音色がどんなに美しく神秘的に響き、彼らの心の慰めとなったことか、それは我々の想像をはるかに超えるものであっただろうと思うのです。
(続く)

参考資料:
「マヨルカの冬」ジョルジュ・サンド著、J-B・ローラン画、小坂裕子訳、藤原書店発行
「ジョルジュ・サンドからの手紙」ジョルジュ・サンド、持田明子編=構成、藤原書店発行
ARCHIVES PLEYEL (http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/archives.html)

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