2014年3月6日木曜日

エラールの歴史 その9

リスト(1824年)
(ウィキペディアより)

リスト(1858年)
(ウィキペディアより)
 
 
エラールの歴史 その9

セバスチャン・エラールが発明したダブル・エスケープメントアクションを備えた新しいグランドピアノが完成したのは1823年のことだった。
この年の12月、当時12歳だったFranz Lisztは父親とパリを訪れ、出来上がったばかりのエラールピアノを弾き、感激する。
1824年、リストはロンドンへ行く。
イギリスのピアノを弾いてみたいと言うリストを、ピエール・エラールはブロードウッドの店に連れて行った。
ブロードウッドは当時イギリスで最高のピアノメーカーであり、店も大きく繁栄していた。
リストは、ブロードウッドのピアノを弾いて、とても良いピアノだと言った。
ピエールがリストを連れてエラール社に戻った時、ちょうどパリから届いたばかりのピアノの荷をほどいたところだった。
リストが試弾すると、その素晴らしい音に誰もが感激した。ブロードウッドの音との違いは明らかだった。
ピエールによると、イギリスのピアノの音は重くて粘るような音、セバスチャン・エラールの音ははっきりしていて力強く、輝きがある。

1824年6月21日、12歳のリストがロンドンで初めてのコンサートをした時、セバスチャン・エラールのダブルアクションを備えたピアノを使った。
コンサートは大成功に終わった。
皆が若いリストの素晴らしい演奏に感激し、彼の並外れた才能に驚いた。
エラールピアノは、今までコンサートに使われたピアノの中で一番良いピアノだと絶賛された。

この時から、ピエールはエラールピアノの成功を確信し、ロンドンでもピアノ製造をしたいと準備を始めた。


参考資料:
Mon bien cher Oncle - Correspondance de Pierre Erard à Sébastien Erard volumeⅢ 1822-1831 (ピエール・エラールよりセバスチャン・エラールへの手紙第3巻、Laure Barthel , Alain Roudier編集)

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